略歴
1995年 大阪市生まれ
2008年 大阪市立阪南小学校卒業
2011年 大阪市立阪南中学校卒業
2014年 大阪府立天王寺高等学校卒業
2019年 大阪大学人間科学部卒業
卒業論文「ものまねの人類学―まねることの持つ機能」
2020年 M1論文「ものまねの人類学―芸の伝播過程についての考察」
2021年 大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了
修士論文「ものまねにおける表現技法の伝播・定着過程の考察」
2021年 大阪市高速電気軌道株式会社(大阪メトロ)入社
2024年3月31日 逝去(28歳)
2024年6月 査読論文「現代ものまね史序説―ものまねの変遷と拡大」が『年刊藝能』第30号に掲載
2026年8月 論文集『現代ものまね史序説』が雄山閣より刊行

大阪大学在学中より「ものまね研究会」の名で活動し、人間科学・人類学の視点から「ものまね」の研究と実践を続けた。大阪大学在学中より、人間科学・人類学の視点からものまねの研究と実践を続けた。2015年から2024年まで「ものまね研究会」の名でツイッターへの投稿を続け、自らを「ものまね研究会終身名誉会長」と名乗った。
主な研究成果である「ものまねの人類学―まねることの持つ機能」(卒業論文)、「ものまねにおける表現技法の伝播・定着過程の考察」(修士論文)、「現代ものまね史序説―ものまねの変遷と拡大」(『年刊藝能』第30号、2024年)は、論文集『現代ものまね史序説』(2026年)に収録されている。
大阪検定客員研究員として、大阪文化・観光に関する調査・研究にも取り組んだ。「大阪大学の観光利用についての研究」(2021)、「俳人・阿波野青畝の句碑をめぐる」(2022)、「大阪の阿呆・阪田素夫」(2023)などの研究報告を行った。2016年から2019年にかけて、「ものまね研究会」としてMBSラジオ『福島のぶひろの、どうぞお構いなく。』に出演した。
好奇心に導かれて歩き続けた人
大阪碑めぐり像めぐり

街にでたら道の傍らに目を向けてほしい
街を歩くのがちょっと楽しくなる
そんなことの手伝いがしたい
※クリックすると、大陸本人の声でお聞きいただけます。(2019年8月4日作成)
ストーリーテラー
大陸は、幼いころから、誰も気づかず通り過ぎてしまうものに目を向ける子どもでした。流行や有名無名に関心はなく、多くの人が見過ごしてしまう人や、世界のおもしろさや魅力を楽しそうに語ってくれました。
水木しげるの世界、『ハッチポッチステーション』、昭和のテレビ文化、古いレコード、地方芸能、無名の芸人、消えかけている芸や言葉――そうしたものに強く惹かれました。
そうした大陸のまなざしを育んだ大きな存在が、グッチ裕三さんでした。中学の時、「社会を明るくする運動」というテーマの作文コンクールで、グッチさんが、どれだけ社会を明るくするかをまじめに書いて、優秀賞をいただきました。
「グッチの歌、聞いて、嫌な気持ちになる人はいてない。みんな笑ってしまうやろ。それって最高のエンターテイメントやで」。「みんなグッチを聞くべきや。そしたら世界は平和になるで」――そんなふうによく話していました。
高校時代に、クラスで誰かをからかう発言に皆が笑ったとき、一人大陸だけは笑わなかったそうです。あとで友人に、「人をさげすむ笑いは嫌いや」と話したと聞きました。
泡沫候補と呼ばれる人々を追いかけ、その人の本や政見放送の録画を見ながら、「この人、言ってることむちゃくちゃやけど、一貫してるやろ。人間として信頼できるで」と話していました。
大陸にとって「ものまね」とは、たんに声やしぐさを似せる技法ではなく、その人の魅力や空気、人柄、人生まで含めて、愛情をもって表現する「模倣」だったのではないかと思います。
家では、幼いころから寝ている時以外はずっと、自分の見たこと、聞いたことを話し続けるような子どもでした。大人になってからも変わらず、ひとりの時でさえ、部屋からは誰かを「ものまね」している歌やトークの大きな声がよく聞こえてきました。
今思えば、幼い頃、幼稚園での出来事を話してくれる時にも、先生や友だちのものまねをして、身振り手振りを交えて話してくれていました。私は、大陸の話を聞くだけで、まるでその場にいるような楽しい気持ちになりました。
大学在学中の「ものまね研究会」(大阪大学非公認サークル)の活動が評判になって、MBSラジオの『福島のぶひろの、どうぞお構いなく』 に呼ばれ、3度出演しました。第一回のテーマは、「あなたならどうする『もしも、ものまねを研究することになったら』」でした。そこで大陸は、「見る・する・学ぶ」の三本柱で活動していると語っていました。
家でものまねの練習をし、大学でやってと言われれば披露し、時間があればライブへ足を運ぶ。古本屋で資料を探し、関心を抱いた人には話を聞きに行き、街を歩いて先人たちの足跡をたどる。大陸は「ものまね」を、人生の中で自ら実践していました。
また、休みの日になると大阪の街を歩き、小さな碑や像を見つけては、その場所に刻まれた歴史や先人たちの営みに思いを巡らせました。街の片隅で見つけた碑について、「若い人たちは、小さな碑に目もくれず通り過ぎていく。いつかなくなってしまう。ちゃんと残していかなあかん」と、よく言っていました。
「大阪碑めぐり像めぐり」と名づけられた大陸のパワーポイントを開くと、大阪市北区民生委員制度生みの親・林市蔵の像、大阪市西成区秀吉も訪れた天下茶屋跡地の碑、富田林市富田林町寺内町の道しるべ、大阪市天王寺区どんどろ大師(善福寺)の歌舞伎「傾城阿波の鳴門」像など、大阪の隅々を歩いて記録した、歴史の刻まれた小さな碑や像の写真とともに、「街にでたら道の傍らに目を向けてほしい。街を歩くのがちょっと楽しくなる。そんなことの手伝いがしたい」という大陸の声が流れてきます。
大阪検定では、史上最年少で1級を取得し、大阪公立大学の客員研究員として、その後も継続して研究発表を行いました。最後の研究発表のテーマは、調べてもほとんど情報のない大阪の一企業家でした。「大阪の阿呆・阪田素夫」。病床で痛みと闘いながらレジュメを完成させ、ぎりぎりまで発表するつもりでいました。しかし、その願いは叶いませんでした。
※大阪公立大学客員研究員として行った研究発表の映像は、「大阪研究・街歩き」のページに掲載しています。
ある日、大陸が、「デカンショ節の歌詞を募集してて、応募したら入賞した。お皿にその歌詞を焼いてくれて、市役所でそのお皿をもって写真とってくれるらしい」と言って、丹波篠山に出かけて行きました。縁もゆかりもない丹波篠山の市役所で、お皿をもって写っている大陸のまじめな顔を思い出すと、今でも思わず笑ってしまいます。
令和4年度 日本デカンショ節大賞応募作品を見る(PDF)
令和5年度 日本デカンショ節大賞応募作品を見る(PDF)


闘病中、痛みのコントロールが難しかった時期には、「痛い、助けて」と、病院から泣きながら電話をかけてくる日々が続きました。そんなときにも、「痛い、痛いって叫んだあと『イテテイテテイテテ』って、バナナボート歌うように努力してんねんで、おかあさん知ってた?」と言っていました。


また、「ずっと見たかった番組の再放送があったから録画してん」と、NHKの「ふたりのビッグショー」(坂上二郎さんと財津一郎さんのトークと歌の番組)を見て、「おかあさん、こんな時でも笑ってしまってんで。それってすごない?ほんまのエンターテイメントや」と言っていました。
※「ふたりのビッグショー」(NHK)の番組情報は、「映像アーカイブ」 に掲載しています。
最後の数週間には『おそ松くん』を読み返し、「これは人間愛の話やねん」と言っていました。どれほど苦しい状況でも、人間のおもしろさや愛おしさを見つめ続けました。
人間というもののやさしさや魅力、そして人生のおもしろさを探究することが、大陸の「ものまね」研究の本質だったように思います。大陸のまなざしは、「ものまね」にも、研究にも、大好きな人々にも日々の暮らしにも、いつも変わることなくあたたかく息づいていました。
大陸の目を通して見る世界は、いつも、人間が生き生きと躍動していました。
2026年8月に、大陸の論文集『現代ものまね史序説』(雄山閣)が刊行されました。卒業論文、修士論文、査読論文(年刊 藝能30号)を収めた大陸の研究成果です。この論文集の刊行には、多くの方々のお力添えがあり、序文・追悼文には、先生方や研究仲間の皆さんが温かいメッセージを寄せてくださっています。
友人のおひとりの追悼文には、生前のお見舞いの際、大陸が「自分の生きた証として論文を書いている」と話していたと綴られています。この論文集が、大陸の生きた証そのものであることを、あらためて深く感じています。
最後に、大学院で研究をともにした神崎隼人さんが、論文集に寄せてくださった追悼文から、一部をご紹介します。
自分が笑いものにするのは先輩や教員のような目上の者だけだ、と彼は私に言ったことがある。
彼はストーリーテラーである。……
彼は真似しながら語って聞かせる。彼が取り上げることは、身近な人々の日常の些末な、細々とした動作や癖に過ぎず、驚くべきことは一つも含まれないことをまるでおもしろいことかのように話して聞かせ、見せる。語る際に、彼はそれを誇張して真似する。それによってストーリーテラーはオーディエンスの笑いを引き出す。……
物真似は再現ではない。……
彼は、自分は目上の先輩や教員のことしか笑い者にしないのだと明らかに私に言った。その言葉の主である彼を介して、私はミニチュアになり、はじめて他の皆に受け入れられたように感じた。
見舞いに訪れ、少し散歩した夕暮れには、彼は私を嘲笑しなかった。フィットネスジムに通っているのをバカにしたくらいで、この日彼は自分の状況のことを話して聞かせた。ストーリーテラーが自分のことを話している日はこの日くらいだった。
あなた方の中で語るのは誰かと問われれば、それは彼だと私たちはまちがいなく答えるだろう。
関谷大陸『現代ものまね史序説』(雄山閣、2026年)pp.22–24より一部抜粋
2026年8月
関谷 共美
